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東京高等裁判所 昭和43年(ネ)1260号 判決 1969年7月30日

理由

一、《証拠》を合わせ考えると、

(一)  控訴人は、昭和二五年九月頃から肩書住所で「風味堂」という名称のもとにあられ等の米菓の製造販売業を営んでいたこと、

(二)  昭和二七年二月二九日本店を控訴人の住所におき、同人を代表取締役とし、各種菓子類の製造および販売を主たる目的とする風味堂製菓株式会社が設立され、ついで、昭和三八年一二月一六日、本店を東京都荒川区町屋五丁目一五番二一号におき、控訴人の妻蓉子を代表取締役とし、同様の事業を営むことを目的とする風味堂産業株式会社が設立されたが、右両会社は、昭和四一年九月中に相ついで解散し、同年一一月二日本店を控訴人の住所におき、同人を代表取締役とし(なおその後林捷次がこれに代つた。)、米菓の製造販売を主たる目的とする株式会社風味堂が設立され、その後同会社はその商号を株式会社大名道楽と変更したこと、

(三)  右各会社の設立、解散や代表者の交替ないし商号変更の前後を通じ、これら各会社の名を以てする営業は、すべて前示控訴人の住所に在る店舗、工場において行なわれ、前記風味堂なる名称が引き続き使用されていたこと、

(四)  右店舗、工場とその敷地はいずれも控訴人の所有名義に登記が経由され、右風味堂製菓株式会社の債務を担保するため、金融機関等に対し、控訴人が右土地建物につき抵当権等を設定していること、

(五)  従つて、前示各会社の設立や代表者の交替ないし商号の変更の前後を通じ、これら各会社の名を以て行なわれていた営業の実態は、控訴人の主宰の下に継続しており、右会社の設立等は主として銀行取引を継続する必要に出でたものであつたこと、

を認めることができ、これに反する証拠はない。

二、つぎに、《証拠》を合わせ考えると、

(六) 訴外会社は、昭和四〇年二月中旬頃から、前示場所において、風味堂と称する営業主体と乾海苔の取引を開始したが、その相手方は、右取引において(特に商品の受領にあたつて)常に風味堂なる名称を用い、しかも、取引における万般の衡に当つたのは終始控訴人であつたこと、

(七) 特に、訴外会社が取引代金の支払いのため受取つた手形が、昭和四〇年秋頃不渡りになつた際、控訴人は自己において責任を以て代金の支払いにあたる旨訴外会社に確約しまた、昭和四一年四、五月頃取引代金支払いのため交付してあつた前示風味堂株式会社振出しの約束手形が不渡りとなるや、控訴人はこれにかえて前示風味堂製菓株式会社振出の約束手形を交付し、これも不渡りになつたため、更に、控訴人の養母とし振出しにかかる小切手を交付したこと、

を認めることができ、これに反する証拠はない。

三、以上の(一)ないし(七)の各事実を綜合すれば、控訴人は、風味堂という名称のもとに米菓の製造販売業を営むものであつて、前記各会社は右営業の便宜のための手段たるに止まるものと認められるから、訴外会社との前示取引により乾海苔を買受けたのは控訴人であるというべきである。前示証人大門蓉子、同山田吉郎および控訴人は、右を買受けたのは、前記風味堂産業株式会社ないし風味堂製菓株式会社であると供述するけれども、これらを以ては、到底右認定を左右するに足らない。

四、そうして、《証拠》によれば、訴外会社は、昭和四〇年一二月二一日から昭和四一年七月六日までの間に、代金は翌月一五日支払いの約で、控訴人に対し代金合計三一〇万三四〇〇円相当の乾海苔を売渡したことが認められる。そして、訴外会社が九二万二〇二〇円の支払いを受けたことは被控訴人の自認するところ、その余の二一八万一三八〇円を支払つたことは控訴人の主張立証しないところである。

五、ところで、本件記録添付の訴外会社の商業登記簿謄本によれば、訴外会社は本件控訴が提起された後である昭和四三年八月五日午前一〇時三〇分、東京地方裁判所において更生手続開始決定をうけ、被控訴人が管財人に選任されたことが明らかである。

六、してみれば、控訴人に訴外会社に対し右残代金とこれに対する支払期日の後である昭和四一年九月一六日から支払済に至るまで商事法定利率年六分の遅延損害金を支払うことを命じた原判決は相当であり、本件控訴は結局理由がないことに帰するからこれを棄却

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